春夏秋冬この花の咲く・・・

「ニッポンに生まれてよかったなぁ」

そう、しみじみ感じられる家へ・・・

 

日本で暮らしているのに、

「外国」風の家や、

「無国籍な近代建築」風の家で

あふれている。

 

春夏秋冬、大工技術、伝統文化・・・

 

建築家 永井政光がこころざす家、

それは、四季のある気候風土や、

この国の文化や長い歴史を大切にした上で

現代を上質に暮らせる、

 

「現代版のニッポンの家」・・・

はじめに

巫女(みこ)

日本人にとっての「柱」

 日本は古来から四季折々の変化に富み、かつ温暖な気候に恵まれてきました。それは、過酷な自然環境と対峙しなければならない多くの大陸国家や、一年を通して大きな気候変化のない国とは異なる独特のものだといえます。ゆえに、この国では古来から自然に対峙するというよりは自然の恵みに感謝し、自然に畏敬の念を抱いて暮らしてきました。そんな日本において、山や石などの無数の自然に八百万(やおろず)の神が宿ると考えられてきたのは自然なことだったのかもしれません。そんな日本において、山や石などの「自然に宿る無数の神」や「先祖の位牌」などを一柱(ひとはしら)、二柱(ふたはしら)というように「柱」という単位で数えます。それだけ柱というのは古来から特別な存在でした。法隆寺が建てられる以前から、日本では「柱」の建築を建ててきました。それは、メソポタミアや西欧、中国のような「壁」の建築とは対照的だといえます。そう考えると、一本の木から一本しかとれない『無垢の柱』で支えられている、伝統的な柱のある日本建築に対する感じ方も少し変わってくるのではないでしょうか。

竪穴式住居

「日本を主軸とした」建築へ

 建築家 永井政光は、「外国風」や「国籍不明な近代建築」を主軸とするというよりは、”日本を主軸”とした建築をめざしたい、という信念を持っています。つまり、ほんの100年程前である1900年頃に完成した無国籍でグローバルな近代建築という様式や、異国である海外の様式の幹からの枝分かれの先にある建築ではなく、1万5000年前から存在する縄文文化から始まり、伊勢神宮正殿や法隆寺、竪穴式住居、寝殿造、書院造、城郭建築、数寄屋建築、農家建築や古民家町家建築、昭和的建築などの、連綿としてつながる日本建築という太い幹の先にあるものを、そして、それを現代に応用させた建築をめざしています。それら伝統には、軒を深く出すという四季のある気候風土に対する合理性や日本人的趣味嗜好など、様々な先人たちの知恵が息づいていると考えています。

縄文時代からのDNA

 日本とは不思議な国で、その例の一つはDNAです。近年の進んだDNA鑑定によると、日本人のDNAはハプログループDの系統(D1a2aを持つ人が多く、これは、近隣の中国人や韓国人をはじめ世界中のほとんどの民族が持っておらず、チベットなど限られたエリアに稀に点在するだけのようです。その辺りのミステリーは専門家にお任せするとして、ここで言いたいのは、日本人のDNAが周辺諸国と異なるということは、日本は他の民族の緩やかな流入はし続けたものの、大陸国家でよくある王朝の転覆等による民族の総入れ替えや民族の大移動は、少なくともここ1500年~2000年の間で一度も無かったということです。つまり、万葉集や方丈記、陰影礼賛などの名著に書かれている日本人的感性や、かつての日本人が愛した日本の古典建築に対する趣味や嗜好の「本質」は現代人にもなお響く可能性があり、古典を静かに見つめなおすことによって、現代において理想的な日本建築を生み出せるのではないか、古典の応用を現代に効果的に利かすことが出来るのではないかと考えます。

伊勢神宮内宮正殿

姫路城(白鷺城)

古来の趣味嗜好を見つめなおす

 日本人的趣味嗜好・・・たとえば、万葉集の一首に「奈良の山に生えていた皮のついた木材で造った室はいつまでも座って飽きることがない」という趣旨の聖武天皇の歌があります。唐の鮮やかで煌びやかな彩色を施した建築文化を輸入したにもかかわらず、詫び寂びに通じるようなより自然な木でつくった建築を当時から愛でたようです。屋根にも趣味嗜好がありました。法隆寺などの飛鳥建築が輸入された際、最初は大陸建築のように屋根の出が非常に浅く、かつ、屋根の反りが大きい建築だったようですが、飛鳥建築の数棟目にあたる法隆寺においては大陸とは異なる軒の出がとても深く、屋根の反りが緩やかな、いわば優美な建築に昇華させました。これは、当時の日本人趣味が反映されたと考えられます。また、瓦が輸入された後も、皇室関係や主要な神社建築は瓦ではなく檜皮葺や杮葺きといった樹皮の屋根であり続けました。古来の日本人が何を好み、輸入されたものの何を受け入れ何を日本流に変え、そして何をかたくなに変えずに守ってきたか等を紐解けば、現代における望ましい日本建築の在り方のヒントになるのではないかと考えています。

多様性とレス・イズ・モア

 極限までシンプルに向かう、いわば近代建築的で現代的なレス・イズ・モアの発想はどこか弥生土器的であるともいえます。それに対して、縄文土器や飛鳥~江戸の建築は多様な要素を肯定し、その多様な要素を調和共生させるデザイン思想ともいえるのではないでしょうか。それらは混沌と無の中間に位置する大自然のごとく、大自然に近い適度な複雑さをもった建築を古来の日本人はつくってきたといえるのかもしれません。東洋的な言葉で言うならば「中庸」を愛してきたともいえると思います。多様な要素を肯定し調和共生した建築は、自然と対峙するというよりは自然と調和し、豊かさや落ち着きを生み出し多様性を肯定するという発想は、もしかしたら古来の日本的価値観の本質の一つであるといえるのではないでしょうか。

情緒ある温泉旅館街

法隆寺 五重塔

「現代版のニッポンの建築へ」

 はるか昔、1万5000年前から存在する縄文文化から始まり、縦穴式住居、伊勢神宮正殿や法隆寺、寝殿造、書院造、城郭建築、数寄屋建築、農家建築や町家建築、果ては昭和的建築などの「縄文から連綿と続く日本建築をあくまで幹」とし、その上で、変遷を繰り返してきた日本の伝統建築のただのリバイバルで終わるのではなく、モダンな手法や現代の合理的性能、世界最先端のデザイントレンドなどの現代性や、欧州などのデザイン要素、さらには、見逃されがちな数寄屋の名旅館に使われているような小粋な和の要素なども踏まえて建築家 永井政光の感性で一つの建築としてまとめた、その幹の先にあるもの …NAGAIZM